経基の目の前で展開される光景は獅子と猫のじゃれ合いに見えた。ぬかるんだ地面を晴明は気にすることなく舞い、有象無象の敵共は皆、脚を取られては打ち倒されていく。到底、闘いなどと呼べるようなものではなく、事情を知らぬ者が見れば晴明の一方的な加虐にしか思えなかっただろう。
堂内より漏れる香の匂いに時々顔を顰めることはあっても、それが勝敗の大局を変動させることはなかった。
それほどまでに晴明は強かった。
経基が加勢する暇すらなく、ただひたすらその光景に目を奪われるのみであった。
乱戦状態にあった戦場も晴明を中心に、十重二十重の円陣が出来上がっている。興奮して群がっていた雑魚共が、晴明の実力に頭と肝を冷やした結果、猪突出来なくなっただけのことだが、それが更に相手に晴明の放つ恐怖を強く印象づけることになった。
     『誼々…』
軋んだ音を立てて堂の扉が開いた刹那、堂内に籠もっていた魔香が渦巻く奔流となって流れ出し、晴明を襲う。一層濃密になった魔香に絡め取られるよりも早く、晴明は呪を唱え、己が許に風を呼び寄せた。
 「風のうへに ありか定めぬ 塵の身は ゆくへも知らず なりぬべらなりっ」
     『轟っ』
晴明の身より青き龍が天に駆け登り、空気を瀧の如く降らせた。魔香は無論のこと、あばら屋の様な堂の扉も吹き飛び、主を挑発した。
斯くして庇に進み出た頼子は未だ勝利への確信に満ちた表情をしていた。
頼子の確信めいた笑みの裏に潜むものに気付いたのはその時だった。
振り返った晴明の目に飛び込んできたのは、金冠を打ち、打火花を飛ばす雑魚の姿であった。晴明の主観は全てがゆっくりと流れ、迫り来る炎もその向こうで自らはなった炎に焼かれている男も莫大な情報量となって晴明の視覚をついた。
鼻孔に届く油の臭いが再び魔香の匂いに紛れ込もうとしている中、晴明は緩やかに流れる時間に、ひいては己自身の身体に焦りを覚えていた。
油の染み込んだ地面はその火勢を一気に広げ、正邪の別無く無慈悲な顎に飲み込んでいった。晴明が炎の洗礼を受けることなく、逃げおおせたのは全くの偶然であり、そこが歴史の分岐点でもあった。

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