紅く色づいた葉が舞う季節となり、頼光は心身共に以前とは見違えるほどの成長を遂げた。特に智の面は晴明の想像以上の早さであった。しかし、晴明はその早さに内包された危険性を危惧しないではいられなかった。心を伴わぬ成長は身の破滅しか招かないと、晴明自身が身にしみて知っていたからだ。
晴明の側で陰陽の知識を得るにつけ、頼光は己の中の感覚が他人のそれとは異なるものを見ていると気付くようになった。
その日も日課となった都の散策に出た頼光は、連なり見える紅の山々を眺めた。文武共に卓越した資質を持つが故に、他の童とは異なる環境にある頼光にとって、この都の散策が唯一の娯楽であった。
 「 …許して… 」
嗚咽の混じった、か細い声が聞こえたのは西京極大路の九条辺りに来た頃だった。一目で洛外の者とわかる、垢まみれの童が二人の検非違使に暴行を受けていたのだ。
どちらに非があるかなど関係なかった。ただ頼光の性分では、このまま黙って通り過ぎることなど出来ないだけだ。特に怯えている者が童女であれば尚更だった。
 「 相手は幼き童であろう。何をしているか! 」
一旦は暴行の手を止めたものの、小さき頼光を一瞥した検非違使は明らかに安堵と侮蔑の相を呈した。
 「 我らが洛外の者を如何様にしようと、貴様如き小僧に咎められるいわれはないわ 」
言い終わるが早いか、うずくまる童女の脇腹につま先をめり込ませた。息を吸う瞬間の出来事だったために童女は声を上げることすらできなかった。
涙と涎で垢まみれの顔を更に汚し、のたうつ童女を見て検非違使は嘲り笑う。
       『 …釁… 』
玻璃を指で弾いたような澄んだ音が頼光の裡で響き、同時に視界が朱に染まった。
 「 愚か者が… 」
一気に間合いを詰めると童女の脇腹を蹴った検非違使の手首を掴み、刹那の間もおかず投げうった。地に叩き伏せると勢いに任せて関節を逆の方向へ捻ってやると、呆気ないほど素直に折れた。
思いの外簡単に砕けた関節に検非違使は一瞬、何が起こったのかすら理解できないようであったが数瞬後、その痛みは検非違使の心をも砕いた。
 「 ああぁっ、腕がっ! 腕がっ! 」
肘をおさえて転がる検非違使を無視して頼光はゆらりと立ち上がると、残る一人を無言で見つめた。
残る検非違使の顔には明らかな怯えが見て取れた。しかし、今の頼光にはその表情は残虐な悦楽を喚起させる要因でしかない。
後ずさる検非違使に同じ早さで迫る。わざと距離を詰めずに心情的に追い詰めているのだ。
 「 …許して…くれ 」
 「 あの童子は同じ事を言わなかったのか? 」
 「 あ、あいつは洛外の者ではないか 」
 「 …屑め 」
吐き捨てた言葉を聞き取れなかった検非違使は聞き返そうとしたが、眉間に痛烈な打撃を受け、それも叶わなかった。初撃で気を失った検非違使に馬乗りになった頼光は苛烈なまでの攻撃を加え続けた。その頼光の姿に恐怖した童女が、脱兎の如くその場を去っても気付かないほどに加虐に酔いしれていた。
荒い息をつき立ちあがった頼光は、地面にどっかりと腰を下ろした一人の僧形の者が返り血に染まった自分を見つめていることに気付いた。
平静を取り戻そうと頼光の精神が総動員される。
 「 …何か用でも? 」
僧形の男は何も応えず、思慮深げな瞳で頼光を見つめ続けた。
拳の痛みに気を取られた頼光はほんの一瞬、瞬きほどの時、僧形の男から視線を逸らした。その間に既に男の姿は掻き消えていた。
いつまでそこに立っていたのか、紅色の身体は黒く乾ききっていた。
安倍邸に戻った頼光は家人にばれぬうちにと、全身の血を洗い流した。しかし、皮膚の裂けた拳までは隠し仰せるはずもなく、晴明の激しい叱責を受けることになる。
ただ「馬鹿者、馬鹿者…」とだけ繰り返しながら鞭で撃ち続ける晴明の泣き顔に頼光は真の愛情と悲しみを知る思いがした。

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