獣道一直線
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<野獣 対 サムライ>

大畑 原作者の中平先生とは、一度会ったきりなんです。最初にこの作品の監督の話があった時に、西川口のファミレスで会ったんですけど、こっちが10しゃべるとしたら、0.1くらいしかしゃべらない人で(笑)。ストイックに自分の仕事を淡々とやっていく人っていうイメージがありましたね。「自分はアニメについては玄人じゃないから言うだけ野暮、漫画は自分の世界だから自分が決着をつける、アニメはアニメでどうぞご自由に」っていう雰囲気でした。投げやりなんじゃなくて、「オレの漫画をもっとおもしろく変えられるもんなら変えてみやがれ!」みたいなね、良い意味での挑戦状なんだと思った。何も言わないことで、かえって大きなプレッシャーを与えられたね。僕は、中平先生に媚び売るつもりもないし、ゴマする気もないんだけど、すごくサムライっぽいなと思ったんですよ。この人はサムライだと。寡黙にあまり多くを語らなかったけど、クリエイターとして自分の道を行ってるなという気がしましたね。「ああしてください」「こうしてください」「絶対こうはしないでください」って言うような原作者さんもいると思う。だけど、何も言わないから、アニメーション作ってても「これを中平さんが見たらどう思うだろう」って、逆にこっちが考えてしまう。恥ずかしいものは作れない。会ってから時間が経過するにつれて、それが僕の中でどんどん大きくなってくるんですよ。で、やっぱりテーマというか、『破壊魔定光』の根幹に流れているものだけは合わせていこうと。それだけは外さないようにしようと思った。勧善懲悪ものにならなかったのは、それがあるからなんです。ビジュアルのスタイルとしてヒーローではあるけども、定光は流刑体に対して憎しみを持ってるわけじゃない。また、人間社会に巣くう悪に対して能動的に挑んでゆくってこともしないんですよ。学生という立場を維持したまま、日常的に戦っていく。日常的にヒーローとして生きていく。原作は、徐々にマクロな背景が明らかになって、ポリティカルフィクション的な要素も入って来つつありますけど、定光自身の戦いはすごくプライベートなレベルで繰り広げられているわけで、そこは外さないで行こうと。全10話しかないアニメーションで、描ききることのできるスケールというものもある。無理やり原作をなぞったところで、ものすごく不親切なダイジェスト版になるだけです。原作の縦糸になっているTFPを、思い切って取っぱらおうということは、かなり早い段階で決断しました。それは、中平さんの方にもお話ししています。

──原作では宇宙船型の天斬が、アニメではバイク型の駆崙なのは、描くべきスケール感の違いを象徴しているなぁと感じます。

大畑 天斬がバイクというアイディアは、実は中平さんの方にもあったそうなんですよ。最初にファミレスでお会いする時に、その辺りのことも含めた構成案を持って行ったんです。箇条書き程度のものではあったんですが、それを見て「自分が連載を始めるころに漠然と考えたヒーローものの世界に非常に近い」と言われましてね。その頃は、天斬が「最終的にバイクでもいいかな」と考えていたとかで。それを聞いて思ったのが、まだ中平さんの頭の中にあった企画段階の『定光』をアニメーションで再現したらどうだろうってこと。完全に世に出る前の、フッと頭に沸いたイメージの『定光』を、あえて描いてみたらどうだろうと。原作では、随行体はあっけなく破壊されちゃってるんですが、アニメではそこに至るまでのエピソードを膨らませて第1話に持ってきた。これもその表れなんです。だから駆崙にしても、名前こそ違いますけど、これはアニメバージョンにおける天斬なんだって位置づけにしたかった。宇宙にいるときは宇宙船の姿になるとかいう設定も付けたりしてね。原作の天斬のファンの中には、駆崙が気に入らないっていう人もいると思うんですけど、結局何が面白いかと言えば、流刑体にああいう性格のヤツがいて、定光と掛け合いをやるって部分なんですよ。ポンコツと定光のそれとは、また違ったノリのね。アニメの方でも、それを最大限に生かせるようなシフトを敷きたかった。ただ、失敗したなと思うのは、原作のA・Jを登場させられなかったこと。企画の構成を作っている時点では、まだ存在を知らなかったんですよ。ライターさんもみんな、「A・J出せば良かったね」「A・J面白いよね」っていう意見が多くて。僕自身も、定光を中心とした、ポンコツ、天斬、A・Jっていう4人の男チームと考えると、かなり面白い展開になったんじゃないかなという気がするんですよ。

──もったいなかったですね。

大畑 26話あれば出してたんですけどね。13話どころか、それよりも3話少ない10話なんで、むしろオリジナルビデオに近い。全部まとめても本編は3時間半ぐらいの尺しかないわけですよ。その中で、どうしてもかっちりまとまったシリーズにしたいなというのがあったんです。さっき、このアニメが見切り発車的に製作に入ったみたいな事を言ったけど、漫画の場合はちょっと違う。同じ見切り発車でも、キャラが一発できたら、とりあえずドンドン進んでみますよっていうことができる。未完成の美学っていうんですかね。なんだかんだ言っても、アニメーションは大勢のスタッフがよってたかって作るものだから、世界観とかモロモロの部分までかっちり固めてからでないと入って行けない。それに対して、漫画は基本的に一人の作家の頭の中で作り上げることができる。その自由度というか、化け方の幅の広さってあると思うんですよ。A・Jの登場によって、あの漫画はまた一段階化けた。あれは、ちょっとヤラレタと思いましたね(笑)。

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