雨が上がったのは天空の太陽がわずかばかり西に傾いた頃だった。
晴明の師である賀茂忠行は廷臣・藤原実頼からの呼び出しを受け、陰陽寮へと出かけていた。実頼の位階は確かに高かったが、それでも忠行を呼び出す必要のある役職ではなかったはずだ。
しかし、晴明にとって忠行の留守は都合が良かった。先の騒動を自分の手で解決したいと思うのは、やはり与えられた屈辱を返すためだけに他ならない。忠行がそんな心理状態の晴明を世に放つとは考え難いからだ。
密かに賀茂邸宅の門を潜り出ようとした晴明を待ち受ける男がいた。経基である。
 「出てきたな」
門柱にもたれ掛かり腰を下ろしていた経基は、挑戦的な笑みで晴明を見上げていた。軽装とはいえ、鎧を身につけていることから経基が何をしようと考えているのか判らない晴明ではなかった。
 「火付けの犯人を捕らえに行くのだろう、陰陽師。ならばこの私を連れて行ってはくれないか。何、足手まといになるようなことはない。これでも、兵部省では腕の立つ方なのだぞ。あぁ、そうだ。私は三原経基と申す」
経基は人の良さそうな笑顔で言葉を続けたが、晴明はそれに対して軽い落胆を込めた溜息で応えた。
 「三原ですか…確かにいずれ源氏姓を拝命する貴男にはお似合いの姓ですが、まだ貴男は三原でも源でもないでしょう……経基王」
 「はっはっは、さすが忠行が土御門の跡目にと目しているだけのことはある。いつから知っていた」
清和天皇の曾孫にあたる男が目の前にいる。経基が帝の座に着くことはないのだが、晴明は都の…否、この国の将来を想像し、軽い眩暈を覚えずにはいられなかった。
 「初めから…先日の火事の折から存じておりましたよ。礼を失したとして斬りますか」
選択肢など有りはしない問いを投げかけ、晴明は経基を煙に巻くつもりだった。時間がない訳ではなかったが、これから向かう先で待ちかまえる強者と相争う期待に興奮を、逸る気持ちを抑えきれないでいた。言ってしまえば経基に構っていたくないというのが晴明の偽らざる気持ちであった。
 「大人しく斬られるつもりなど無いのだろう。ならば、せめて君の活躍を見させて貰うことにするよ。私が起こす清和源氏の未来のために、その能力、しかと見聞させていただこうか」
 「そういうことでしたら…」
晴明は経基を助け起こしもせず、まるで己一人で頼子の許へ乗り込むかのような勢いで歩き始めた。経基はその不遜な態度を咎めることもせず、後を追った。
経基は晴明とはまた別種の緊張と興奮がその裡を満たしていくのを自覚していた。やはり血は争えぬということであろう。後の世、この経基の清和源氏からは偉大なる武将が数多く輩出される。その最たる者が四天を束ねし雷公・源頼光であり、幾世代後に産まれる武者の中の王と誉れ高き紗那王・源義経である。
幾世代後まで続く武士の世を構築する要因となった二人の男が、今まさに一つ道を歩み始めた瞬間である。

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