MIRAGE OF BLAZE ENCYCLOPEDIA
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words @ STORY#10
芦ノ湖 あしのこ
 箱根芦ノ湖QuickTimeVR
 →ex: TOURS「芦ノ湖」
神奈川県南西部、箱根町にある湖。箱根火山のカルデラ内に生じた火口原湖で、周囲19キロ、面積6.8平方キロ、最大深度40.6メートル、水面の標高725メートル。水は薄藍色。
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箱根権現 はこねごんげん
 →ex: TOURS「箱根」
箱根神社。所在地は神奈川県足柄下郡箱根町元箱根。
本殿は、平入、流朱塗権現。古来より、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、祭神は、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、木花咲耶姫命。
境内には「矢立の杉」「安産の杉」などがある。古来、杉の木は榊葉などと同様、神が憑依される神木とされる。
北条氏は、永正十六年(1519)に北条早雲が社領を寄せて以後、特に重んじており、早雲の次子長綱は剃髪して入山、幻庵と号して別当に昇進した。天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際に兵火に罹って全山が焼亡。江戸時代には東海道の関所が設けられたため、道中安全を願う庶民信仰の聖地として発展した。
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振鈴法 しんれいほう
密教法具を用いた探索法の一つ。金剛鈴を鳴らし、その音(この場合は霊波)が探す目標に反響して返ってくるのを受けて目標のいる方向を知る。
第10話で千秋が用いたのは、譲の腕釧に刻まれた八句陀羅尼に反響する霊波動を持つ金剛鈴。
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北条氏政 ほうじょううじまさ
 →ex: 北条氏康
 →ex: 北条氏照
 →ex: 相模の北条一族
天文七年~天正十八年(1538年~1590年)
幼名・乙千代丸。左京大夫、相模守、小田原北条氏第四代、北条氏康の長男(実際は次男であるが長男新九郎は早世)。
天文23年武田信玄の娘黄梅院と結婚し、甲斐・相模の連携を結ぶ。永禄三年(1560年)(永禄二年とも)、家督相続。同11年上杉氏と越相同盟を結んだが、父氏康の死後、上杉氏と絶って再び信玄と結び、以後、北関東への勢力拡大に専念。下総北部から下野に領国を拡大。天正八年、子の北条氏直に家督を譲りつつも、実権を握る。
豊臣秀吉の上洛命令に応じず、敵対し、天正18年(1590年)籠城の末降伏。弟北条氏照と共に秀吉に切腹を命ぜられ7月11日自刃。墓所は箱根の早雲寺。
法名・慈雲院殿勝巌傑公大居士

16才の時に甲斐の武田氏より正室として迎えた黄梅院を大変に愛していたとされ、甲相同盟崩壊により、離縁しなくてはならなくなった折、丁重に実家に送り届けた。黄梅院は甲斐に戻って後出家、間もなく夭折するが、氏政はそれを悼み、早雲寺のすぐ傍らに墓を立てた。
剛毅で直情的な氏照に対し、深謀遠慮の人として知られる。
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日光山 にっこうさん
 →ex: TOURS「日光」
日光は今でこそ、輪王寺、東照宮、二荒山神社の3つから成り立っているが、江戸時代までは「日光山」としてひとまとまりの関東の一大霊山だった。古来より、神仏習合信仰習慣の象徴であったのが、明治の神仏分離令により、日光山輪王寺・日光二荒山神社・日光東照宮の「二社一寺」に分かれ、現在に至っている。
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遠山康英 とうやまやすひで
美濃国遠山荘にいた加藤次景廉の後裔で、北条家家臣。遠山康光の子。父康光は、氏康の康の一字を拝領した側近の一人で、北条家朱印状の奉行人を務め、北条と越後上杉の越相同盟を推進した中心人物。康英は、同同盟の人質である北条三郎(後の三郎景虎)の家老として同行する父とともに越後に入った。「御館の乱」の際、父は自刃。 康英本人は鮫ケ尾城城主堀江宗親と通じていたという。
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